監督・脚本 グレアム・ギット 脚本 エリック・エーヴェ 1998年 フランス
メルヴィル・プボーがみたくて見た。
「いちばん美しい年令」で一緒だったエロディ・ブシェーズとまた共演した映画。
こういうアクションものは普段あまり見ないから楽しかった。
話の筋が二転三転するところが魅力。
強盗四人組の話なのだけれど、間抜けな奴ばかりでちょっと脱力。
ブシェーズの弟役のロマン・デュリスのボンクラぶりが可愛かった。
実際の弟だったらいやだけれど。
メルヴィル・プボーは薄汚れていてもやはり美形だった。
彼は若干なで肩。そこがいつも惜しいと思ってしまう。
監督 ポール・マクギガン 脚本 ジョニー・ファーガソン 2000年 イギリス/ドイツ
観ていて疲れた・・・。
スーツ姿でびしっときめたポール・ベタニーが観たかっただけだったのだけれど、鑑賞するのに力を使ってしまった。
なんだかめちゃめちゃ全編「男惚れ」の匂いが漂っていたなぁ。
ポール・ベタニーはマフィアのボス、デヴィッド・シューリスに憧れていて、彼みたいに格好良くなりたいと思っていたら、シューリスに女ができて、その女との仲がいつもとは違って深い仲に発展したことから、ベタニーは策略をめぐらしシューリスを陥れる。
そしてシューリスに成り代わって、ベタニーは組織のボスになる。
なんとなく「太陽がいっぱい」みたいな面があるなと思う。相手を思うあまりその人に成り代わろうとしたくなる願望とか。
ベタニーのシューリスの彼女に対する嫉妬心はすごかったなぁ。
シューリスを絶対に振り向かせることができないために起こるベタニーの彼女に対するひねくれた嫉妬心が、気持ち悪くて仕方がなかったし、冷酷なギャングなはずなのにシューリスと彼女との間に芽生える愛がネバネバとしすぎていて、また気持ち悪かった。
ギャングスター(ベタニー、マルコム・マグダウェル)はシューリスに最後まで振り向いてもらえなかったから死んでしまったんだよね?
本当に愛情の形がひねくれている。
監督・脚本 コリーヌ・セロー 2001年 フランス
女たちが男を完全に捨て去っていく。ここまで完璧に女が男たちを棄てる映画は初めて見たかも。
すっきりとした映画だ。
この映画で語られていることは、社会的に評価されていてある程度年を重ねた女性じゃないと表に出すことは難しい。
お金さえあったら、子育てが終わった後も家政婦としてしか見ていない夫の世話をして一生終えるなんてゴメンだという女の本音をはっきりと出してくれているので、とても観ていてスッキリした。
娼婦ノエミは男の人に対して幻想を1ミクロンも持てなくなった女たちにとってはスーパースターだ。父親によってかなり年上の男に嫁として売られそうになり、逃げ、知り合った男に騙され売春婦に堕され、でも頭のいい彼女は投資やお金持ちの老人男性を手玉に取り、財を築く。
そのお金で彼女は最終的に自由を勝ち取る。もちろん彼女を軽んじた男たちに復讐もして。
資本主義でいい点があるとしたら、大金があれば女の人が完全に男を切り捨てて生きられる可能性をつくったということかも。
監督・脚本 クリストファー・マンガー 1995年 イギリス
「村の自慢の山が6m足りないせいで、地図に丘と記載されることになったために、村の人たちが力を合わせて土をもって山にしようとする」というこの映画の設定は面白いのだけれど、このつかみだけで全編をもたせるのには無理があった。
山に土を盛るにしても山を掘り返して土を盛るのがいちばん効率のいいやり方なのに、わざわざ地上から土を運ぶやり方には、違和感がぬぐえなかった。それらしく理由はつけていたけれど、映画の画面をもりあげるために村人が土を山に運ぶシーンを撮りたかったんだろうというのが見え見え。
山が主役なのだろうけれど、「丘に登って、山を下りた英国人」役のヒュー・グラントよりも好色モーガンや牧師さんの方が目立っていた。
ヒュー様が観たくて見たのに・・・。
ヒュー様の役どころも、村の好色男モーガンの海千山千の愛人にいいように翻弄されて、彼女の仕掛けた誘惑の罠にいとも簡単に引っかかってしまうウブな青年で、私の好きなプレイボーイ独身男のヒュー様とは違ってちょっと面白くなかった。
ヒュー様、撫で付けた髪が似合っていなくて、美形に見えなかった。残念。
監督・脚本 セドリック・クラピッシュ 2005年 フランス/イギリス
グザヴィエは相変わらず女たらしです。
グザヴィエのキャラクターは一見よさそうに見えるけれど、付き合ったら面倒くさそう。
友達だったら、楽しそう。
女友達の子供のお守りを何日も引き受けてくれる男の人なんてそうはいないから。
グザヴィエは思ったとおりには上手くいっていないが夢を叶え、ライターの仕事をしている。
前作「スパニッシュ・アパートメント」でグザヴィエと兄妹みたいな関係だったウェンディと再会して、彼は彼女と協力してドラマの脚本を書くことになる。
ウェンディ役の女優さんは前作では可愛さが勝っていたけれど、すっかり美人さんになっていた。
ウェンディは相変わらず男運がない。今回はグザヴィエなんかに引っかかってしまう。
やめときゃいいのに・・・。
ウェンディの弟ウィリアムも相変わらずいい味を出している。
グザヴィエがひいおじいさんを安心させるためにレズビアンのイザベルを彼女と偽って紹介する場面を見て、フランスの青年はそんなに肉親(親ならともかくひいじいさんに)義理堅いものなのか?と、ちょっと不思議に思った。
やっぱり今回もなんとなくゲイテイストが入っていると感じた。
監督・脚本 フェデリコ・フェリーニ 脚本ベルナルディーノ・ザッポーニ 1969年 イタリア
芸術映画は良くわかんない・・・。
観ている間もストーリーがちんぷんかんぷんだった。
私の持っている「映画100年STORYまるかじり(イタリア編)」という映画のあらすじが丸々載っている本があるのだけれど、その本を読んでようやくどんな話なのかわかったような気になった。
本によると「原作は古代ローマ時代の政治家で詩人のペトロニウスのピカレスク小説『サテリコン』。この小説は、皇帝ネロの親しい友人であったペトロニウスが、ネロを楽しませるために書いたものだが、今日では大部分が散逸してしまった。したがって、この作品は原題『フェリーニ=サティリコン』が示すように、ほとんどフェリーニのオリジナルといってもいい。 「サテリコン」は当時、ニューヨークでロック・コンサートの後、上映され、一万人の若者に熱狂的に迎えられた。そのことから明らかなようにこの作品は60年代の終わりの混乱した社会や若者のライフスタイルを投影し、狂言廻し役の2人の若者は、まさに60年代のヒッピーを思わせる」とある。
ヒッピー。そう指摘されると、本当に主人公の2人はヒッピーみたいだなと思う。
物語は主人公エンコルピオの美少年のお稚児さんを、彼の親友のアシルトによって喜劇役者のベルナッキオに売られてしまうというところから始まる。
出だしからなんていう筋だよ、と思うね。刺激的です。
エンコルピオのお稚児さんは美少年とは言っても体は女の子みたいに丸みを帯びたタイプで、顔も両性具有というよりははっきり女の子のほうに振れていて、ただ気持ち悪いだけだった。もうちょっと違ったタイプの美少年だったら良かったのだけれど。
主人公のエンコルピオ役のマーティン・ポッターと友人アシルト役のハイラム・ケラーはとても美形。
30年前の萩尾望都の絵みたいな顔をしてます。
物語の中盤にはエンコルピオは将軍のリーカというおじさんと結婚することになって、結婚式を挙げたりします。リーカはどっちかというとおねいな感じ。エンコルピオも結婚に満足気だったりします。 おもしろい。
なんだか奥深い映画です。
美しい男たちを見るためだけでも見る価値があるかも。
鍛え抜かれた男たちの裸がたっぷり見れます。